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SEJ 日本のエネルギーを考える会

投稿 二流文学者の集合体−朝日新聞が非科学的である証拠の数々−


カテゴリ:  会員の声    2017-8-1 19:30   閲覧 (1069)
憲法70条で保障されている人権が原発事故で損なわれたという主張である。朝日新聞の友人たちを社説に多数登場させて、権利が侵害されたという意見があたかも事実であるかのように主張を展開している。これがとても不可解なのである。
はじめに
 友人の指摘を受けて2017年7月23日付朝日新聞の社説を図書館で読んだ。憲法70条で保障されている人権が原発事故で損なわれたという主張である。朝日新聞の友人たちを社説に多数登場させて、権利が侵害されたという意見があたかも事実であるかのように主張を展開している。これがとても不可解なのである。長い文章ではないので、全文を引用して私たちがおかしいと考える点を述べてゆきたい。以下、黒字が朝日の社説の原文、赤字が私たちの主張である。
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(社説)憲法70年 「原発と人権」問い直す
 東京電力福島第一原発の20キロ圏に入る福島県南相馬市小高(おだか)区。大半の地域で避難指示が解除されて12日で1年がたった。
 商店や学校は徐々に再開され、登下校時は高校生たちの声が響く。一方で、シャッターを下ろしたままの店や、庭に草が生い茂った家も目立つ。市によると、12日現在の小高の居住者は2046人。11年の原発事故当時の6分の1弱だ。憲法が保障していたはずの「ふつうの暮らし」を、原発事故は多くの人から奪い去った。
以下何人もの関係者の証言が引用されているが、社説というのは新聞社がその意見を主体的に述べる場であって、朝日と意見を同じくする一部の人々の主張を紹介することで社説とはちゃんちゃらおかしいというべきではないか。「自社の意見」として述べるのではあまりにも弱いという認識に基づくのであれば、社説など廃止してしまえばよい。
 ■事故が問うた本質
 漁師の志賀勝明さん(68)は小高への帰還を断念した。海岸近くに建てたばかりの自宅は津波で浸水した。事故後、立ち入りを禁じられた間に荒れ果て、解体を余儀なくされた。
 志賀さんは言う。「自分だけじゃなく、地域のすべての人の人生が変わった。生存権とか、 基本的人権とか、憲法の本質的なものを考えさせられたよ」
 南相馬市は昨年5月、全世帯に憲法全文の小冊子を配った。
 小高出身の憲法学者、鈴木安蔵(やすぞう)が終戦直後にまとめた憲法草案要綱は「国民ハ 健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス」と生存権を明記し、現憲法25条につながった。多くの市民の生活が暗転したなか、原点を再認識してほしいとの思いが、桜井勝延(かつのぶ)市長にはあった。
 福島県では今も数万人が県内外で避難を続ける。長年のなりわいや家屋を失った人は数え切れず、居住、職業選択の自由(22条)、財産権(29条)の侵害は著しい。多くの子が故郷の学校に通えなくなり、教育を受ける権利(26条)も揺らいだ。
 そして何より、事故は多くの人を「関連死」に追い込んだ。
 「原発事故で、憲法に書いてある生活ができなくされた。これは憲法違反でしょう」。桜井市長は語気を強めて言う。
 ■よりどころは憲法
 「原発は電気の生産という社会的に重要な機能を営むものではあるが、憲法上は人格権の中核部分より劣位」。14年5月、関西電力大飯原発(福井県)の周辺住民らが起こした訴訟 で、福井地裁判決はこう述べ、再稼働の差し止めを命じた。
この判決は後日高裁の判決で覆されている。法治国家の新聞が高裁で否定された判決文の一部を引用するというのはどのような神経に基づくのか。自分達に都合の良い情報だけを取り上げ都合の悪い情報は隠蔽する体質がここでも表れている。
 原発事故の避難者が国と東電に賠償を求めている集団訴訟で、関西原告団代表を務める森松 明希子(あきこ)さん(43)は、憲法に立脚した判決に希望を感じた。
 幼い2人の子の被曝(ひばく)を案じ、福島県郡山市から大阪へ避難した。だが地元は避難指示区域ではない。少数派である自主避難者への視線は福島の内でも外でも厳しく、行政の支援や東電からの賠償も乏しい。
 「自分の選択は正しかったのか」。苦悩し、学生時代に学んだ憲法をいま一度ひもといた。
 「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」(前文)、「すべて国民 は、個人として尊重される」(13条)。これこそが自分のよりどころだ、と思った。
 避難するのもとどまるのも、個人の自由だ。どの選択をした人に対しても、憲法が保障する 生活が実現できるような支援を。森松さんはそう訴える。
 「ふつうの暮らし」を取り戻すため、憲法を盾にたたかっている人たちがいる。憲法施行70年の日本で、忘れてはならない重い現実といえよう。
理由は様々であろうがニュース・カメラマンが戦場に赴くことが自己責任であるのと同様、自主避難をした人々が自己責任を負わないことの方が不可思議ではないか。避難を強制したから国や東電が賠償責任を負うのであり、強制を受けない人々が勝手に移動したことに国や東電が責任を負うべきであると解釈する朝日新聞は、憲法が根拠だという。すべての法律は憲法に準拠して立法されているのであり、憲法の精神論を取り上げて何とかしろというのは、法の精神を理解していないのではないか。
 ■主権者が選ぶ針路
 福島の事故より前、原発が憲法と関連づけて問題視されたことはなかったといっていい。
 日本の原子力開発は、憲法施行8年後の1955年に制定された原子力基本法に基づいて進められてきた。同法は「人類社会の福祉と国民生活の水準向上」を目的とし、「平和利用」を 明記している。
ここでなぜ平和利用が出てくるのか?原子力発電こそ平和利用であり、核兵器と一線を画すものである。不要な「平和利用」の文言をここで使うことで、原子力発電が平和とは相容れない危険な使い方であるという「印象操作」を試みているのである。
 澤野義一・大阪経済法科大教授(憲法学)は「原発は当然のように合憲視され、学界でもほとんど論議されたことがなかった」と指摘する。
 資源が乏しい日本で、大量の電力を供給できる原発が経済発展に貢献したのは確かだろう。
 ただ、ひとたび事故が起きれば、無数の人権がただちに脅かされる。そのリスクは「安全神話」のもとで隠され、国民も十分に認識してこなかった。
 多くの国民が被災者となった福島第一原発事故の後も、国や電力事業者は原発を推進する方針を変えようとしない。
 全国の原発の周辺には、事故で避難を迫られる可能性がある30キロ圏だけで400万人以 上が暮らす。憲法が目指す社会は守りうるのか。そんな観点から、この国の進む道を見直す必要はないだろうか。
全世界で原子力開発を進めている国々の数を考えてみたことがあるのか。建設中あるいは計画中の原子力発電所の数を数えたことがあるのか。地球温暖化の被害を考えたことがあるのか。これらの質問に対する朝日の解が出てきたためしがない。朝日の世界に目が向かない視野狭窄な論議に惑わされて、国民が間違った判断をした結果に朝日はどのように責任を取るのであろうか。慰安婦問題の時のように「頬かむり」を決め込むのであろう。
原子力を放棄した結果起こるであろう日本の国力の衰退、経済の疲弊からどのように国民を守るのか、そんな観点から、この国の進むべき道を朝日こそ考えるべきなのではないか。

 中欧のオーストリアは78年、国民投票で原発の稼働が否決されたのをきっかけに、原発の建設を禁じる法律を制定した。86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故を経て、「脱原発」を求める世論は強まり、99年に原発禁止が憲法に明記された。
まず、オーストリアは信頼に足る隣国に囲まれた恵まれた環境にある国であることを忘れているのではないか。私たちはしばしば、欧州で原発なくして電力供給に破綻が起こらないのは国際的な送電網が整備されており、電力の不足は送電網を通じて購入することができると主張してきている。日本は同じ様な恵まれた環境に無い。日本の隣国を見てみるがよい。ロシア、中国、韓国すべての国々は日本の領土を侵犯し、不当占拠している国々なのである。朝日にとっては信頼に足る隣国かもしれないが、多くの日本人はこれらの国を信じ切ることはできないと考えており、送電線をこれ等の国と結んで電力が安定的に供給されるなどとは夢にも思わないのである。
もう一点、チェルノブイリの事故の後、直接的な放射線による犠牲者を出したウクライナでさえ原子力発電を放棄していないばかりか15基が運転中で2基を建設しているという事実をどう考えているのか。この事実にどうして言及しないのか。嘘をつかずに嘘の報道をするという、ここにも朝日のずる賢い隠蔽体質が示されているのである。

 日本の針路を選ぶ権利は、主権者である国民一人ひとりにある。この6年超の現実を見据 え、議論を広げていきたい。(引用終わり)


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朝日の体質は、科学的合理性には背を向けて、読者の気分に迎合する記事を書き連ねているだけにしか見えない。目を全世界に転ずれば、原子力発電は多くの国で推進されており、これからしばらくの間は排除できない重要な電源であることが明々白々であるにもかかわらず、この点については全く報道をしないのである。原発に反対する根拠には科学的合理性の無い感性に訴える文章を書き続けるのであるが、これがしばしば文学的には良く整っており、朝日の論調に慣れ親しんで定期購読している老人たちは無批判に受け入れてしまうのである。このように読者の耳に快い事だけを書き連ね、正確に状況を判断するためには欠かせない重要な情報は隠蔽している。さらに言えば、経済的に日本が立ち行かなくなる危険性は、感性だけに頼り科学的合理性を尊重しない二流の文学屋には理解が出来ないのであろう。
このような偏向報道をし続けていることは、我々の気分を暗澹たるものにさせる。
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